なぜお母さんは死んだのか
私は母が亡くなってから、なぜお母さんは死んだのか?とずっと思っていた。
そして今朝、母が死んだことについて思ったことがある。
それは『お母さんは人生の役目を終えたのかな』という事でした。
死亡診断書には急性心不全と書かれていたけど、そういうのではない。ずっと、なんで死んだんだろうと思っていた。
母が亡くなってから、何度も思い出すある場面がある。
私が子供の頃に住んでいた団地から何百メートルも離れた東側にはため池が2つあって、そのため池を区切るように土手の道があった。
その道を母が歩いていた時に、自分が住んでた家から『お母さーん!!』と叫んだことがある。
この時、自分はまだ幼稚園に入る前か幼稚園に入った頃で、弟に何かがあって自分ではどうにもできなくて、用事で出かけた母を呼び戻すために家から叫んだのだった。その叫び声を聞いた母は戻ってきてくれた。
母が亡くなってから、私は何度も『お母さーん!』と叫んだあの場面を思い出すんだけど、子供の頃は家に戻ってきてくれたのに、今はもう何度お母さんを呼んでも戻ってくることはない。
戻ってくるわけはないと分かっていても、やっぱりあの時の光景を思い出しては心の中で『お母さーん!』と呼んでしまう自分が居る。
毎日毎日、何でお母さんは亡くなったんだろう。答えは全然出てこなかったのに、突然今朝になってお母さんは人生の役目を終えたのかもしれないと思った。
そう思うとなんか腹に落ちたのか妙に納得する自分が居た。
お母さんが亡くなってから初めて気が付いたことがある。それはお母さんの足の爪が極度の巻き爪だったこと。
自分は今までお母さんの足の爪なんて見たこともなかったし、巻き爪だということを聞いたこともなかったんだけど、その巻き爪を見たことで、お母さんはこんなになるまで頑張ってくれたんだなって思った。
そして、お母さんはこんなになるまでいろんなことを我慢してきたんだろうなって思った。その我慢がお腹の底を通り越して足の爪が変形するくらいにまでなったんだろうなって思った。
お母さんは子宮頸がんも過去に患ったことがある。それもきっと人生で沢山の我慢を強いられてきたからなんだと自分では思ってる。
お母さんは手首を切ったこともあった。あの時は自分も本当につらかった。誰にも不満を言わず毎日毎日家族のご飯を用意して、家の用事を全部こなして凄く頑張ってくれてた。
お母さんは本当に我慢の繰り返しの人生だったんだなって今ではそう思う。父が亡くなり、我慢する必要が無くなってからは、お母さんは楽しそうな人生を過ごしているように見えたし実際楽しんでた。
自分は母の生き方が羨ましいと思ったし、お母さんにそのことを伝えたし、どうやったらそんなに楽しく生きられるの?教えて欲しいと言ったこともあった。
お母さんが楽しく生きてる姿を見て自分もそういう人生を歩みたいと思ったし、お母さんが亡くなった姿を見て自分もこういう死に方を迎えたいと思った。
今の世の中、病院で死ぬのが普通なのに、自宅で朝起きたら亡くなってなんて、凄い幸せな死に方だと思う。
お母さんは亡くなる前日までちゃんと自分の足で歩いてた。だから、最も身近にいた自分でさえも死ぬとは思ってすらいなかったほど。
人生の役目を終えると、安らかにあの世へ行くんだろうなって。今そう思った。
それと、お母さんは亡くなったけどもう一つ自分が思う事がある。
それは、『人は死んでも生きている』という事。
母が亡くなってから欠かさずご飯を供えてるし、買い物へ出掛ける時も『お母さんちょっと買い物行ってくる』と声をかけてから出かけている。
お母さんは死んだはずなんだけど、生きているように自分はなぜか振舞っている。
お母さんの死を受容れられていないというわけではない。
人は死んでも生きているとはこういうことなんだと思う。死んでもなお、自分は何がしてあげられるのか?それを行動で示すことが死者に対する愛なんだと思う。
亡くなったお母さんに対する自分の愛とは、ご飯を供えたり、おはよう、おやすみ、行ってきますを伝えたり、ホークスニュースを読むことがそれにあたる。
自分が子供だった頃、おばあちゃんがなんでお仏壇にご飯を供えるのか分からなかったけど、今ならその理由がよく分かる。死んでるんだけど生きてるんですよね。
これからもまた『お母さーん!』とあの光景を思い出して呼ぶことがあるかもしれないけど、その時はあの世から見守ってくれてると嬉しいです。それじゃあまた。
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