お母さんがあの世へ旅立った
令和5年6月10日の朝、お母さんがあの世へ旅立った。書類上では午後1時40分となってるけど、実際に旅立った正確な時刻は不明。
普段なら、朝7時になるとお母さんは起きていて朝食の準備をしている。先月末から体調を崩してからは起床時間が遅くなりがちだった。
今朝(6月10日の朝)、7時にお母さんの部屋のふすまを少し開けて様子を見ると、布団を蹴って仰向けで寝ていたので、まだ寝ているんだな。と思ってふすまを静かに閉めました。
1時間が経過し、8時に様子を見に行くとお母さんはまだ寝ていたので、自然に起きてもらうために部屋のカーテンを少しだけ開けて、部屋に光を取り入れることに。
更に1時間が経過し、9時頃に様子を見に行くとお母さんの寝相は、7時と8時に確認した時と同じだったのでまさかと思い枕元へ行く。
お母さんの鼻元に耳を寄せてみると呼吸音が聞こえない。でももしかすると口で呼吸をしてるのかもしれないと思い自分の部屋へ戻ってブログを書き始めた。
そして10時にもう一度お母さんの部屋へ行って様子を見ましたが、お母さんの寝相はずっと同じままの状態でした。
再びお母さんの枕元へ座り、鼻元へ耳を寄せるとやはり呼吸をしていない様子。心臓は鼓動してるかを確認するために恐る恐るお母さんの胸に私の右手を当ててみると心臓の振動が手のひらに伝わってこない。
お母さんはかなり衰弱してるから心臓の鼓動が弱くなってるだけだと思い、自分の耳をお母さんの左胸に当ててみても鼓動音が聞こえてこない。
家の2階に居る弟の部屋へ行き、『なぁ、お母さんもしかしたら息してないかもしれん』と弟へ伝えた。弟は『うそ?』みたいな信じられないような言葉を口に出したが正確にはどんな言葉を言ったか覚えてない。
弟と一緒にお母さんの部屋へ行って、弟にも確認してもらったらやっぱり息をしていない。弟に『なぁ、どうしたらいい?』と尋ねたら『119番通報や』というので119番通報した。時刻は朝10時10分頃。
119番通報をすると、救急ですか?火事ですか?と尋ねられたので救急です。と。住所をまず教えてくださいというので住所を伝える。そして、誰がどのような状態ですか?みたいなことを聞かれた。
朝起きたらお母さんが息をしていなくて心臓も停止してますと伝えると、今から言う方法で心臓マッサージをして下さい。と説明を受けた。
弟も一緒に居たので予めスピーカーで電話をしたのが良かった。私が電話をしながら弟が心臓マッサージをすることに。救急隊員が到着するまで心臓マッサージをすることで蘇生する確率が上がりますとのこと。
暫くすると、遠くの方から救急車の音が聞こえてくる。その音は徐々に大きくなり、自宅方向へ近づいてくるのが分かる。そして、その音は家の前まで来たのが分かると家の前で停車。
救急隊員が自宅に到着しお母さんのいる1階和室へ入ってきたので、救急隊員の方が心臓マッサージを代わってしてくれましたが、蘇生の見込みがないということで警察へ連絡するとのこと。
10時40分頃、警察が自宅に到着。事情聴取を受けることになりました。
病院で息を引き取った場合はお医者さんがすぐに死亡診断することができるのだけど、自宅で亡くなった場合は変死扱いになるらしく、警察の現場検証が行われる。
警察官の制服を着た方が1人、この方に事情聴取を受け、私服を着た非番と思われる警察官の方が5人くらい、代表の一人の方が私と弟に警察手帳を見せてくれた。
私服警察官の方が母の部屋の中の検証を行った。時間は1時間以上は経過したと思う。
私は、死体見分立会書、解剖に関する遺族の承諾書、死体及び所持品引き取り書、顛末書、この4つの書類に住所、名前、続柄、年齢、電話番号などを記入。書類には警視の文字と警視の名前が見えたが覚えていない。
事件性がないと判断されたので、お母さんの遺体はこのままで、警察の検死解剖せずに済むことになった。警察官の方が、所持品と一緒に証拠写真を撮影するのでということで、正座をして所持品と一緒に撮影することに。
お母さんの所持品(貴重品)を財布に戻すときに、昨日、お母さんにソフトバンクホークスの応援へ一緒に行こうなって約束したんですよ。と声を震わしながら私服警察官の方に話した。
警察官の方はじっくりと私の話を正座で聴いてくれたのが印象的で温かく感じた。
そして、13時30分に母のかかりつけの病院の先生に家に来てもらいますので、その時にまた来ますと言い、全ての警察官の方が撤収した。
時間は覚えていないけど11時は過ぎていたと思う。
私は、お母さんのために買ってきた、キューピーのやさしい献立コーン味とかぼちゃ味を食べた。本当だったらお母さんがこれを食べて元気になるはずだったのに。何で俺が食べてるの?意味が分からなかった。
13時30分が過ぎた頃、かかりつけの病院のお医者さんと、警察官の方が立ち合いとして3人くらいが再び訪問。母のいる部屋へお医者さんが入り、死亡診断を下した。
13時40分、死亡確認と。
15時頃、かかりつけの病院へ行って、母の死亡診断書を受取った。後期高齢者医療被保険者証を持って行ったので、死亡診断書と往診に来てもらった料金全てで7200円だった。
それにしても、後期高齢者医療被保険者証は、なぜか紙媒体で、見つけ出すのに苦労した。その理由は、マイナンバーカードのようにカードだと思い込んで探していたから。
だから見つけるのに時間がかかったんだけど、財布の中にある紙のようなものを何となく見るとそれが被保険者証だったので、弟と一緒に『こんなもん分かるわけないやろ!』と(笑)。
よく思い出したら、この被保険者証が家に届いた時、お母さんと一緒に『マイナンバーカードはプラスチックやのになんでこれは紙なん?』と一緒に笑ってたんだった。
お母さんは、ソフトバンクホークスの柳田のファンだったので、しばしばペイペイドームや、大阪の京セラドームへソフトバンクホークスの応援へ行っていた。
その時は数日にわたって家を留守にするので、お母さんが居なくなったらこんな生活になるんだなと何となく思ってた。でも、まさかそれが直ぐにやって来るとは本当に想像すらしていなかった。
お母さんがまだ生きていた6月9日のお昼ご飯を食べてる最中に、お母さんの様子をすぐに見に来られるように、ナースコールの自宅版を買うか、ノートパソコンを買って1階でパソコンを使おうかなと思ってた。
当然、お母さんが亡くなるなんて全く思ってなかった。ブログでは最悪の事態も・・・なんて書いたけど、こんなことが起こるなんて全く思ってなかった。
病院で発行してもらった死亡届(死亡診断書)に必要事項を記入していく。本籍地が分からなかったが、弟が、父が死亡した時の死亡診断書の写しを持っていたので、死亡届(死亡診断書)の記入が終わった。
晩ご飯は近所のダイエーで、海苔弁当、ししゃも、海老チリソースを買って来て食べた。弟はちょっと飲んでくるわと言って夕方ごろに家を出て夜になってやっと帰ってきた。
帰ってきた時に、沢山泣いてきたか?と言ったら、まぁちょっと泣いてきたわと(笑)。
一人で晩ご飯を食べてると、お母さんの部屋の方から音がするからもしかして起きたのかな?と思って振り返ったけど、外から聞こえてくる音で、お母さんは布団の上で静かに横たわっているだけでした。
その後も何度か音が聞こえるので振り返るたびにお母さんは静かに横たわってるだけで、自分は外の音に妙に敏感になっていた。起きてくるんじゃないのか?と思って。
お母さんは、6月9日、まだ私がお母さんは絶対に回復すると信じていた時、『そいや、そいや、そいや』と言ってた。それは声が聞こえてくるの?と尋ねると、うん、聞こえてくるよと。
私は、一斉風靡セピアの前略、道の上よりやなというと、そうそう。と母が返事をして、私は『咲き誇る花は散るからこそに美しい』と歌った。
お母さんは続けて『散った花弁は後は土へと還るだけ』と小さな声で歌詞を口ずさんだ。この時は気づかなかったけど、お母さんは、自分の人生をこの歌になぞらえていたんだなと、後から気が付いた。
お母さん?お母さんの人生は楽しかったですか?生まれてきてよかったですか?天井の方へ向かって訊ねた。もしかするとお母さんの魂がまだ部屋の中にとどまっていてくれるかもしれないと信じて。
お母さんの結婚生活は本当に苦しいものだったと思う。
なにせ私が子供の頃『結婚したら苦労するで~』とよく言われた。お父さんとはずっと喧嘩をしていて今の家に引っ越してからは別々の部屋で寝ていたし、ご飯の用意をしても無言で差し出すだけ。見ていてつらかった。
お父さんが亡くなってからは少しずつお父さんを許せるようになったみたいで、私が見たの夢の中で、お母さんはお父さんと一緒に仲良くしていたので、お母さんはお父さんを許したんだなと確信を持てた。
父亡き後、お母さんは、イギリスへ行ったり、インドへ行ったり、アメリカへ行ったりと普通の主婦とは思えない行動力を発揮した。自分の趣味だったり、自分のお父さん(私の祖父)が戦争で転戦した場所を訪問したり。
この頃になるとお母さんは人生をとても楽しんでいるように見えた。お母さんの生きざまが凄く羨ましく感じたし、自分もこういう生き方ができたらいいなと思った。
そうこうしているうちに、ソフトバンクホークスの柳田のファンになって福岡へ行ったり、京セラドームへ行ったり、宮崎キャンプへ行ったり本当に楽しい人生を過ごしていた。
咲き誇る花のような人生だったと息子の自分でも言える生き方だった。
お母さんが生きている間に枕元へ寄添って一緒に過ごした僅かな時間だったけど幸せな時間でした。お母さんに『産んでくれてありがとう、毎日が楽しいよ。お母さん愛してる。大好き』と伝えられてよかった。
お母さんは『お母さんも、当たり前やん』と小さな声で返事してくれたね。嬉しかったよ。
お母さんが布団でウンコを漏らしてしまった時、『漏らしてもいいよ。僕が生まれた時はお母さんが僕のウンコを処理してくれたんやから、今度は僕がやる番やんか。そんなん当たり前やん』と、伝えられてよかった。
俺は、お母さんの介護をする気満々やったんやで?資格の取得も考えたんやで?何であの世へ旅立ってしまったん?もう少し一緒に過ごしたかったわ。一緒に乗り越えて行くつもりやったのにな。
約51年と7か月、一緒に居てくれてありがとう。お母さん。これからは、僕の心の中に住んでこれからも一緒に過ごして行こな。ペイペイドームに行くからお母さんも一緒に柳田の応援しに行こ(笑)。
何年後になるかはわからないけど、自分もそっちへ行くからその時にまた沢山喋ろう。それじゃあ、また。
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